ライプチヒで広島原爆についての講演会 

8月3日の午後、映像作家の田邊雅章さんによる広島の原爆についての講演会が、ライプチヒのバッハ博物館のホ-ルで行われました。
田邊さんは非核特使として、世界各地で講演をされていおり、今回ベルリンの日本大使館の招きで、ライプチヒ、ベルリン、ハノ-バ-の3箇所をまわられます。

40人ほどのライプチヒ市民が集まりました。

まずは、日本大使によるご挨拶。

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田邊さんは広島の原爆で、爆心地付近に住んでおられたご両親と弟を亡くされ、祖母も9年後になくなられたそうです。
ご自身は当時8歳。疎開をしていたため、免れたものの、爆心地とは知らずに家族を探しに広島に戻ったため、被爆。
その後は悲惨な原爆のことは忘れようと、自分が被爆者であることを役50年間ひた隠しにして生活していたそうです。
しかし、その後自分の経験を多くの人に聞いてもらうのが自分の務めだと思い立ち、爆心地の様子をコンピュ-タ-グラフィックで再現する映像や、原爆当時の様子を知る人々のインタヴュ-などで記録映画を作られました。



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最初にその記録映画を上映された後、自らの経験んを語られました。

ご両親と弟の遺体はいまだ行方不明。いつか帰ってくるのでは。。。といまだ葬儀は執り行っていないと語る田邊さん。
被爆者の方の話は、どなたの話を聞いても悲惨で胸が締め付けられる思いになります。

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第二次世界大戦を語れる生き証人の方の高齢化に伴い、貴重な話を聞く機会が今後どんどん少なくなっていく中、
田邊さんの講演や映画は、将来の平和のためにはますます重要なものになっていきます。
とりわけ人類の犯した大きな過ちである、原爆投下、そしてホロコ-スト。
この二つは永久に語り継がれていかなければなりません。

ただ、今回のお話を聞いていて、ひとつだけピンと来ない点がありました。
お話の中に、「ドイツと日本の両国はは第二次世界大戦で多大な被害を被りました。だからこそ、両国が将来の平和のために手を携えていかないといけないのです。」とおっしゃった点。
一見もっともらしい話なのですが、ドイツに長く住む私の耳には少しばかり違和感が残りました。

ドイツ人にとっては、第二次世界大戦は敗戦国で被害者というよりはむしろ、ナチスによる他国への加害者、とりわけユダヤ人大虐殺という人類史上ありえない規模の罪を犯したという意識の方が強いのです。少なくとも、現在の学校教育ではそのように教えられているのです。
一方、日本も、近隣諸国への侵攻、とりわけ南京大虐殺や従軍慰安婦問題など、ホロコ-ストとは比較できないとしても、加害の歴史がはっきりと刻まれているのです。
しかし、原爆投下による被害者意識があまりにも大きいため、加害者としての意識が薄れてしまっているように思うのです。
私自身も、日本にいた頃は、日本は戦争、とりわけ原爆の被害国だという思いが大半を占めていました。
しかし、ドイツに生活するようになって、自分がかなり偏った考えでいたのではと、気づくようになりました。
ドイツも連合国による空襲等で多くの方が亡くなり、多くの被害を受けたにもかかわらず、加害の歴史を決して忘れてはならないという計らいが常に感じられるのです。

唯一の原爆被爆国である日本は、原子力兵器廃止、そして平和のためにアピ-ルしていくことが大きな任務であることは言うまでもありません。
空襲とは比較にならない原爆による被害の模様、原爆症のおそろしさ、それにともなう差別などを世界中の人々に知ってもらわないといけません。
そのためにも、被爆者の方の生の経験談をお聞きしたり、原爆の語り部のお話を記録に残していくことは、平和のために次の世代にとっても不可欠なことです。
それと同時に、加害の歴史もふりかえることができれば、バランスの良い平和へのアピ-ルになるのではないでしょうか。




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マエストロ佐渡裕さんの対話サロン in ベルリン 

神戸とベルリンを拠点に国際的に活躍されている、指揮者の佐渡裕さん。
その佐渡さんとベルリン・コ-ミッシェオパ-、オ-ケストラマネ-ジャ-のアンドレアス・モ-リッツ氏との
対話サロンが、昨晩ベルリン日独センタ-で行われました。

明日からベルリン・コンツェルトハウスオ-ケストラとの演奏会など超多忙な佐渡さん。
かなり細くなられて心なしか顔色も良くないような感じがしたので、かなり過労気味なのでは、、と少し心配したほどでした。


はじめに東日本大震災の時に音楽家としての無力感に落ち込んでいた話。そして、直後にドイツでのチャリティ-コンサ-トの指揮者として招かれたときに、第九の喜びの歌をこんな時に演奏してよいのかと苦悩されたこと。そしてドイツの演奏会で人々のやさしさ、繋がりというものを大きく感じたといったお話をされていると、涙腺の弱い佐渡さんはもうちょっとで泣きそうになっておられました。
関西人らしい情にもろい佐渡さん。

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佐渡さんの話される関西弁が心地よく私の耳に響きます。
関西弁を聴くとなんかほんわかした気持ちにはる私。
ますます親近感がわいてしまいます。
おもしろいことに、帰りの電車の中でコ-ラス仲間のお友達H子さんとSちゃんから聴くところによると、この佐渡さんの関西弁ゆえに、一瞬意味がわからないことがあったとのこと。
それは、佐渡さんが「バ-ンスタインが僕に能の面が何枚あるのか知ってるか?って尋ねたことがあるのです。」と話したときのこと。
この、「能」という言葉を、関西では、「脳」と同じイントネ-ションで話すのですが、関東では上に上がるイントネ-ションだそうで、「脳」とは全く違うとのこと。そのため、一瞬「脳」という意味かと思ってわけがわからなかったというのです。
なるほどねぇ。。
私は関西人なので、全く違和感なくスッとその言葉が入ってきましたが、関東出身の人にとってはそうではないのですね。
ちなみに、同時通訳の方は、即座に「能」とお分かりになったのかしら?と少し心配になりました。


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世界各地のオケと共演されている佐渡さん。
おもしろかったのが、佐渡さんがベルリンもしくはドイツで最初にオケの人たちと対面した時に感じられることが、非常に愛想が悪いということだそうな。
ただその後何度も会を重ねるうちに深いつながりができるとのこと。
非常にドイツ的な現象だと思いました。

それから、さすがは常に聴衆の拍手を耳にされる職業だけあって、日独の拍手の差というものがあるとのこと。
日本はさっと夕立がおきるように始まってさっと終わる。
ドイツはそれぞれが思い思いの拍手をするように感じるとのこと。そして、拍手でもって、聴衆の表情が感じ取れるそうです。

ところでクラシック音楽の本場であるドイツでは、今や演奏会に行くと聴衆の年齢層が非常に高い。
若者のクラシック音楽離れは顕著です。
学校での音楽教育においても教えられるのは理論ばかりで、歌うことなどほとんどない。
一昔前のドイツの家庭では、家庭内で歌や楽器を奏でたりホ-ムコンサ-トを行う文化的な時代があったようですが、今ではそういった家庭が激減しているのが現状です。

クラシック音楽は、それに詳しい一部の層だけが楽しめるものではなく、クラシック音楽のバックグラウンドがなくても万人が感動し、楽しめるものであるべきで、それが指揮者の使命だと熱く語る佐渡さん。
非常にイデアリズムではありますが、今の時代、とても大切な方向性だと思います。
佐渡さんのような指揮者が活躍される限り、日本での若いクラシック音楽ファンがどんどん続く可能性は大きいでしょうね。

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音大ではフル-トを専攻された佐渡さん。
リクエストに応えて、ドビッシ-の曲を一曲吹いてくださいました。
ブラボ-!
右足のズボンのすそが少しあがったままなのが、また愛嬌があってかわいい。



ところで佐渡さんの恩師バ-ンスタイン氏が生前、「彼(佐渡さん)はジャガイモみたいな奴だ。そのジャガイモについてる泥がいつかきれいに取れるときが来たら、世界中の人に美味しく食べてもらえるはずだ。」とおっしゃったそうです。
今まさに、世界中の人に美味しく食されている時がきているようですね。
スリムになられているので、じゃがいもというより、今は香り高いゴボウというかんじですが。(笑)

佐渡さんの今後益々のご活躍を願っています!






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